2022年09月14日

2030年の目標を一つ追加。

こんにちは、

セミリタイア研究家


去年、9年後の2030年時点の目標を設定しました。
目標は2つ。
●「自由」でいること
●「生存」していること

この2つの目標にもう1つ2030年目標を加えます。

その目標とは、

この3つめの目標は、できるだけ早い時期に実現させていきたいと思います。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 08:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標
2022年03月20日

(セミ)リタイアは「執着を0にする」を含んだ「自由」。

こんにちは、

セミリタイア研究家




「自分の自由な時間」を安く買い戻すVS「死ぬときの資産0円」は、
一見「自分の自由な時間を売らず」に「自分の自由な時間を安く買い戻す」ことで「自由」を得たいという考えと
「死ぬまでに資産0円を目指す」ことで、死ぬときの「執着を0にする」という考えの対立に見えた。

現在のライフプランの設定においては、
「自分の自由な時間を安く買い戻す」>「死ぬまでに資産0円を目指す」なので、
価値観「自由」>価値観「執着を0にする」という個人的価値観の比較にみえたが、

「自分の自由な時間を安く買い戻す」は、短期的視点での「執着を0にする」を目指し、
「死ぬまでに資産0円を目指す」は、長期的視点での「執着を0にする」を目指しているといえそう。
結局どちらも「執着0にする」という価値観をもとにしている。

では、価値観「自由」と価値観「執着を0にする」は、どういう関係なのか?

(セミ)リタイアで「自由」に至る過程においては、日々の短期的視点での「執着を0にする」を目指してきた。
「自分の自由な時間」を安く買い戻すことで「(セミ)リタイア」の持続性を高め、「自分の自由な時間」を延ばす。
ならば、価値観「執着を0にする」の積み重ねの結果、価値観「自由」を手にしているということ。

つまり、(セミ)リタイアは「執着を0にする」を含んだ「自由」ということになる。
執着を手ばなすと「自由」になるともいえるのかもしれない。

(セミ)リタイアにおいて「執着0」と「自由」は互いに密接に関係している。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 10:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標
2022年03月18日

日々「執着を0にする」を目指しながら、死ぬときの「執着を0にする」を目指している。

こんにちは、

セミリタイア研究家




個人的価値観「自由」と個人的価値観「執着を0にする」との比較なのか?

そして、現在の設定上では、価値観「自由」>価値観「執着を0にする」ということなのか?

ところで、日々の生活においては、以前と比較すると確実に少欲化・ミニマル化が進んでいる。
少欲化・ミニマル化を日々実行し、進めている。
それは、日々「執着を0にする」の方向に進んでいるともいえる。
その少欲化の結果として、「自分の自由な時間を安く買い戻す」ことができ、さらに「(セミ)リタイア」の持続性が増々高まっている。
ということは、価値観「執着を0にする」の結果、価値観「自由」を手にしているともいえる。

その点では、必ずしも、価値観「自由」>価値観「執着を0にする」という個人的価値観間の比較という訳ではなさそう。

日々「自分の自由な時間を安く買い戻す」ために、少欲化・ミニマル化をアップグレードしている。

ならば、人生においても、終末に向けて「執着を0にする」方向でもあるのでは。

今の執着を減らす工夫や生活は、日々行われているため、短期的視点での「執着を0にする」ことを目指しているともいえる。
そして、「死ぬまでに資産0円を目指す」は、ライフプラン全体、長期的視点での「執着を0にする」ことを目指しているともいえる

結局、短期的・長期的視点どちらも価値観「執着を0にする」ことに変わりはない。

(矛盾しているようでも)日々「執着を0にする」を目指しながら、死ぬときの「執着を0にする」を目指している。

どちらも「執着を0にする」に向かっている。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 08:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標
2022年03月14日

2つの個人的価値観の比較なのか?

こんにちは、

セミリタイア研究家




「自分の自由な時間」を安く買い戻すVS「死ぬときの資産0円」

「(セミ)リタイア」の持続性を高めるために、「自分の自由な時間」を安く買い戻している。
一方、「死ぬときの資産0円」を目指すと必ずしも今の生活を安くする必要がない。

「自分の自由な時間」を安く買い戻すことで「(セミ)リタイア」の持続性を高め、「自分の自由な時間」を延ばす。
これは、「自由」を得たいという個人的価値観による。
一方の「死ぬまでに資産0円を目指す」は、金銭的な部分に限定されるものの、死ぬときの「執着を0にする」という個人的価値観ともいえる。

そして、
「自分の自由な時間」を安く買い戻すVS「死ぬときの資産0円」は、
「自分の自由な時間を売らず」に「自分の自由な時間を安く買い戻す」ことで「自由」を得たい
という考えと
「死ぬまでに資産0円を目指す」ことで、死ぬときの「執着を0にする」
という考えの対立にも見える。

『エスカルジュニアは、現在、「死ぬときの資産0円」のペースよりも緩やかな減少に設定している。
ということは、「自分の自由な時間」を安く買い戻していくことを「死ぬときの資産0円」より優先させているのだろうか?』

現在の設定においては、

「自分の自由な時間を売らず」に「自分の自由な時間を安く買い戻す」⇒「自由」を得る
        
「死ぬまでに資産0円を目指す」⇒「執着を0にする

ということにも思える。

シンプルにすると、
個人的価値観「自由」>個人的価値観「執着を0にする」

これは、2つの個人的価値観の比較なのか?

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 14:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標
2022年03月12日

「自分の自由な時間」を安く買い戻すVS「死ぬときの資産0円」

こんにちは、

セミリタイア研究家




現時点では、どうやら「死ぬときの資産0円」へ向けて進めていくようです。
「セミリタイア」の持続性を高めるためには、自然と「自分の自由な時間」を安く買い戻すことにフォーカスしていくことになります。
一方、「死ぬときの資産0円」を理想として、目指していくと、上記との矛盾が生じてきます。

「自分の自由な時間」を安く買い戻すVS「死ぬときの資産0円」

この2者について、どのようにバランスをとっていくのか。

「自分の自由な時間」を安く買い戻していくということは、今の生活を倹約にフォーカスしていくことになる。
つまり、今への投資を抑える
一方「死ぬときの資産0円」を目指すと必ずしも今の生活を安くする必要がない。
つまり、今に投資することになる

「自分の自由な時間」を安く買い戻していくことで、今への投資は抑えられるものの、代わりに安心を得られ
「死ぬときの資産0円」を目指すことで、今の生活の充実となりえるものの、代わりに将来に不安が残る。

前者は、一番死に近い未来への投資となり、
後者は、現時点で一番若い今への投資となる。

今と将来どちらにウエイトを置くか?
ここで、自分自身へ問い、その答えを考えてみたい。
その問いとは、
『エスカルジュニアは、現在、「死ぬときの資産0円」のペースよりも緩やかな減少に設定している。
ということは、「自分の自由な時間」を安く買い戻していくことを「死ぬときの資産0円」より優先させているのだろうか?』

現状、「自分の自由な時間」を安く買い戻していくことを「死ぬときの資産0円」より優先させている理由を考えながら、同時に、個人的価値観『自由』に続き、次の個人的価値観について考えていくことにしたい。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 09:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標