こんにちは、
アーリーリタイア研究家
エスカルジュニアです。
ここ最近、価値観の違いについて考えさせられます。
その2つの例。
1つめ。
「ある人に、健康にとって良かれと思って、食生活や食べ方のアドバイスをしたことにより、結果、体調や各種数値が改善したにも関わらず、そのことでかえって不安になってしまったため、結局元の悪い数値に戻したい」
という結果になってしまったことが去年ありました。
例え改善に向かうことであっても、それまでの習慣を破るというのは、人は、怖いことなんだと強く考えさせられました。
もう1つ。
全国的な調査により国民の行動が客観的数値として分かるケースがコロナ禍後2回ありました。
(公表された数値が正しいかどうかについてはここではふれませんが・・・)
そのどちらも私たちは、マイナーな2割の選択をしている側となりました。
たった2つの選択にもかかわらず、両方とも私たちと同じ選択をしている国民は4%〜最大でも20%の範囲しかいないということ?
熟慮の結果「正しい」と判断して選択した結果であるものの、それほどマイナーな選択をしているとは思っていませんでした。
その差は何なのか、
・テレビ、新聞等(資本家・政治)からの影響の差?
・同調圧力の影響の差?
・価値観の違い?
東日本大震災以降、私たちは、判断基準の1つとして
「あるある」と言われることには、「ない」のでは?
(「いるいる」と言われることには、「いらない」のでは?)
「ないない」と言われることには、「ある」のでは?
今は、この基準が正しいという思いがさらに強まっています。
どういった選択をしていくのかによって、自分たちの未来が変わる。
その選択の際にその人の価値観が現れる。
そして、その価値観は、人それぞれ。
前述の「薬を飲むことで数値を下げる今の方が、健康で薬を飲まないよりも安心」というのも価値観の一つ。
たった2つの選択の結果として、4%〜最大でも20%という少数派である私たちというのも価値観の一つ。
この価値観の多様性。
自分は正しく多数派だと思っていても実はマイノリティかもという意識を持った方がいいのかも。
価値観は人それぞれ、「余計なお世話」になってしまわないよう、価値観のおしつけには、今後気をつけていきたい。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
で夢のセミリタイアを。


