2022年03月18日

日々「執着を0にする」を目指しながら、死ぬときの「執着を0にする」を目指している。

こんにちは、

セミリタイア研究家




個人的価値観「自由」と個人的価値観「執着を0にする」との比較なのか?

そして、現在の設定上では、価値観「自由」>価値観「執着を0にする」ということなのか?

ところで、日々の生活においては、以前と比較すると確実に少欲化・ミニマル化が進んでいる。
少欲化・ミニマル化を日々実行し、進めている。
それは、日々「執着を0にする」の方向に進んでいるともいえる。
その少欲化の結果として、「自分の自由な時間を安く買い戻す」ことができ、さらに「(セミ)リタイア」の持続性が増々高まっている。
ということは、価値観「執着を0にする」の結果、価値観「自由」を手にしているともいえる。

その点では、必ずしも、価値観「自由」>価値観「執着を0にする」という個人的価値観間の比較という訳ではなさそう。

日々「自分の自由な時間を安く買い戻す」ために、少欲化・ミニマル化をアップグレードしている。

ならば、人生においても、終末に向けて「執着を0にする」方向でもあるのでは。

今の執着を減らす工夫や生活は、日々行われているため、短期的視点での「執着を0にする」ことを目指しているともいえる。
そして、「死ぬまでに資産0円を目指す」は、ライフプラン全体、長期的視点での「執着を0にする」ことを目指しているともいえる

結局、短期的・長期的視点どちらも価値観「執着を0にする」ことに変わりはない。

(矛盾しているようでも)日々「執着を0にする」を目指しながら、死ぬときの「執着を0にする」を目指している。

どちらも「執着を0にする」に向かっている。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 08:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標
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