2021年08月03日

セミリタイア生活により、時間に追われることがなくなったはずなのに、時間に追われることをはじめてしまったのかも・・・。

こんにちは、

セミリタイア研究家


セミリタイアして12年経ちますが、セミリタイア生活における時間の感じ方も少しづつ変化してきているようです。
その感覚に気が付かないまま、変化が蓄積し、突如、顕在化しました。

さて、その顕在化してくれたきっかけとなったのは、「腕時計が止まった」こと。
最近、腕時計の電池が切れて電池交換が必要になりました。

そもそも、時間に縛られる状況は、今の生活ではなくなっています。
何時までに出社。そのために何時何分の電車に乗る。
何時まで仕事。何時までに提出。何時までに報告。何時から打ち合わせ。
といった類の細かい時間管理の必要性。

今のセミリタイア生活を客観的にみてみると、腕時計をする機会や必要性は、ほぼなくなっていたはず。
にもかかわらず、これまでは、惰性で腕時計の電池交換をしてきました。
今回は、腕時計の電池交換をやめてみることにしました。
電池式腕時計の断捨離です

さて、少し、視野を広げて、「時計」の必要性について考えてみたところ・・・、
そもそも、今の生活において、「腕時計」に限らず、「時計」自体不要なのかも。

現在の札幌でのセミリタイア生活の1日のタイムスケジュールとしては、
朝、陽の光で目を覚まします。
今、札幌は日の出時間が早いので、朝4時〜5時位に起床。
朝6時位に朝食。
その後、午前中、空腹になりそうになったら、間食し、12〜13時位に昼食。
午後も、空腹になりそうになったら、間食し、18〜19時位に昼食。
夜は、日没後、20〜21時位に就寝。
冬は、日の出が遅いため起床も遅くなります。
といった流れ。

家の中に時計はありますが、この「時計」、もしかして、なくても困らないかも。
太陽の動きと腹時計で問題ないかも。
今後、もし、部屋にある時計が壊れたとしても買い換えなくても良い?

子供の頃から訓練(洗脳)されてきた「時間割」の必要性は今の生活では、失われています。
時計が不要になってきているというのは、時間を管理する必要性がセミリタイアの進展にあわせて薄くなってきているのでしょう。
時間の管理の必要性が薄くなっているということは、(労働、資本主義)社会との関係性が希薄になっているということ。
これは同時に、精神的自由の度合いが進んでいるともいえそう

一方で、時間に関係するもので、エスカルジュニアに新たに必要になったものが1つあります。
調理をはじめたこの1年の間、お世話になっているもの。
それは、「キッチンタイマー」
調理には、これがないと困ります。

キッチンタイマーをセットし忘れるとあたふたすることになります。
時間に追われることがなくなったはずなのに、時間に追われることをはじめてしまったのかも・・・。

時間を管理するもの」より「時間を測定するもの」の方が必要になってきているようです。

キッチンタイマーだけの腕時計はあってもいいのかも・・・。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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札幌で腸内会活動中です。







posted by エスカルジュニア at 10:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | ●アリリタ生活(少欲)
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