こんにちは、
セミリタイア研究家
エスカルジュニアです。
「愛」と「幸福」という2つの別のルートを通して、個人的善について考えることから、『「善」の統一』を目指してきた。
これら、普遍的「個人的善」が『「善」の統一』の主要な要素といえる。
さらに、普遍的「愛」と普遍的「善」である「命を大切にする」は、2つの「理念」に通じる。
「利己的(自己)愛」「利他的(自己犠牲の)愛」=「博愛」
「利己的(自己)愛」「利他的(自己犠牲の)愛」のバランス=「平等」
そして、普遍的「善」である「命を大切にする」は、「生存権」
このルートは西洋的?
普遍的善「執着を捨てる」の最終段階は普遍的善「無我」で、究極的には、無我=利他になる。
これら、普遍的「個人的善」が『「善」の統一』の主要な要素といえる。
「無我=利他」は、自我への固執をすてるため「自由」であり、自分以外すべて自分と同じなので「平等」であると考える。
そして、普遍的「善」である「命を大切にする」(生存権)が、普遍的「無我」への防波堤になる。
このルートは東洋的?
「愛」と「幸福」を切り口にして、『「善」の統一』を試みた。
その結果は、
主要な普遍的善は、「執着を捨てる→無我」「利己的(自己)愛」「利他的(自己犠牲の)愛」「命を大切にする」
そして、これらから、共通する理念「生存権」「自由」「平等」「博愛」に至ると考える。
これが、グローバルな少数の支配者に対抗するために被支配者の統一された「善」
この統一された「善」の基準を用いて、グローバル資本家に対抗すべきだと考える。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
で夢のセミリタイアを。



札幌で腸内会活動中です。
【○「請願」と2030年の目標の最新記事】
続けてのコメントありがとうございます。理念がフリーメイソンと同じなんですね。フリーメイソンの会員ではないし、どういった組織なのかもよく知らないので、明言は避けたいと思いますが、「善の統一」へのルートは、2つのルートとも出発点は、個人的善です。なので、到達点として統一される(支配と被支配の関係内での)普遍的善は当然、支配者、被支配者双方にとって共通のものになるはずです。これを被支配として提示するか否か、支配者の武器として利用するか否かは別の問題だと考えています。(次のコメントへの返答もこちらでまとめさせていただきました)