2021年01月07日

執着を減らし続けること。

こんにちは、

セミリタイア研究家


今、自己に課す、そして社会に願う請願を修正している。

●自己に課す、そして社会に願う請願(2021年〜)
「幸福=自由な生活(余暇)+真善美愛+人類の生長のための活動」
     ↓
幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」

修正後の左辺は「少欲による幸福な生き方」
「自由な生活(余暇)」を少欲へと縮小していくことは、執着を減らすことでもある。

執着の対象となるのは、物、お金等の有形のものや、名誉、地位等の無形のものとなる。

執着を減らした後でも、「幸福」感が一定つまり、あまり変化がないならば、少欲によるサイズダウンで「自由な生活(余暇)」が小さくなった分、「幸福」は上がる。

同時に、「人生の美しさ」は上昇することになる。

具体化、単純化してみると、
「幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」
100ー   80    =    20 
          ↓
「幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」
100ー   40    =    60 

執着を減らし、少欲により「自由な生活(余暇)」が小さくなった分、左辺の「幸福な生き方」は上がると同時に右辺の「人生の美しさ」も上がる。
「真善美愛」は、普遍、自然、人類への「学び」(インプット)であり、「人類の生長のための活動」は、普遍、人類、自然への「貢献」(アウトプット)である。

「少欲による自由な生活(余暇)」度合いを上げる(執着を捨てる)ことで、左辺の「幸福な生き方」が上昇し、同時に右辺の普遍、自然、人類への学び・貢献である「真善美愛+人類の生長のための活動」も上昇。

執着を捨て、身軽になった結果として「人生の美しさ」は上昇することになる。死の時に執着の対象が少ないために後悔が減る。利他的な人生になる。

「幸福な人生」と「人生の美しさ」を向上させるには、継続的に「執着」を減らし続けることによる、「少欲による自由な生活(余暇)」が重要なポイントになる。
エスカルジュニアは、「幸福な生き方、人生の美しさのあり方」について、加齢に比例して意識を高めていこうと・・・。
そのために、請願を修正することにしたのだが、その修正ポイントは「執着を減らし続けること」。

ここで、1つ疑問になるのは、執着を減らした後でも、「幸福」感が一定ということはあるのか?ということ。

「快楽(消費)」と「幸福」は似て非なる。

現代社会において、多くの人は、「快楽(消費)」による快楽(消費)生活の増大が「幸福」感と同義にさせられていると思う。

「快楽(消費)=幸福」の構造になっている限り、快楽増大・消費拡大のサイクルから逃れることができなくなる。

「快楽(消費)=幸福」の構造において、
「快楽(消費)ー快楽(消費)生活の増大=真善美愛+人類の生長のための活動」
  100  ー   100以上   =    0以下

その結果、利己的に偏る可能性がある。執着の対象が増大する。そして死、病、老によって「快楽(消費)」生活の増大が中断することで、後悔が残る。

さらにこの「快楽(消費)」の増大していく社会には、真の「幸福」の欠如と同時に、社会から「美しさ」が消えていくのでは・・・。

「快楽(消費)」が「幸福」と切り離されているならば、執着としての「快楽(消費)」を減らした後でも「幸福」感が一定ということはありえる。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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札幌で腸内会活動中です。







posted by エスカルジュニア at 13:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標
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