こんにちは、
セミリタイア研究家
エスカルジュニアです。
今、自己に課す、そして社会に願う請願を修正している。
●自己に課す、そして社会に願う請願(2021年〜)
「幸福=自由な生活(余暇)+真善美愛+人類の生長のための活動」
↓
「幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」
修正後の左辺は「少欲による幸福な生き方」
「自由な生活(余暇)」を少欲へと縮小していくことは、執着を減らすことでもある。
執着の対象となるのは、物、お金等の有形のものや、名誉、地位等の無形のものとなる。
執着を減らした後でも、「幸福」感が一定つまり、あまり変化がないならば、少欲によるサイズダウンで「自由な生活(余暇)」が小さくなった分、「幸福」は上がる。
同時に、「人生の美しさ」は上昇することになる。
具体化、単純化してみると、
「幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」
100ー 80 = 20
100ー 80 = 20
↓
「幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」
100ー 40 = 60
100ー 40 = 60
執着を減らし、少欲により「自由な生活(余暇)」が小さくなった分、左辺の「幸福な生き方」は上がると同時に右辺の「人生の美しさ」も上がる。
「真善美愛」は、普遍、自然、人類への「学び」(インプット)であり、「人類の生長のための活動」は、普遍、人類、自然への「貢献」(アウトプット)である。
「少欲による自由な生活(余暇)」度合いを上げる(執着を捨てる)ことで、左辺の「幸福な生き方」が上昇し、同時に右辺の普遍、自然、人類への学び・貢献である「真善美愛+人類の生長のための活動」も上昇。
執着を捨て、身軽になった結果として「人生の美しさ」は上昇することになる。死の時に執着の対象が少ないために後悔が減る。利他的な人生になる。
「幸福な人生」と「人生の美しさ」を向上させるには、継続的に「執着」を減らし続けることによる、「少欲による自由な生活(余暇)」が重要なポイントになる。
エスカルジュニアは、「幸福な生き方、人生の美しさのあり方」について、加齢に比例して意識を高めていこうと・・・。
そのために、請願を修正することにしたのだが、その修正ポイントは「執着を減らし続けること」。
ここで、1つ疑問になるのは、執着を減らした後でも、「幸福」感が一定ということはあるのか?ということ。
「快楽(消費)」と「幸福」は似て非なる。
現代社会において、多くの人は、「快楽(消費)」による快楽(消費)生活の増大が「幸福」感と同義にさせられていると思う。
「快楽(消費)=幸福」の構造になっている限り、快楽増大・消費拡大のサイクルから逃れることができなくなる。
「快楽(消費)=幸福」の構造において、
「快楽(消費)ー快楽(消費)生活の増大=真善美愛+人類の生長のための活動」
100 ー 100以上 = 0以下
100 ー 100以上 = 0以下
その結果、利己的に偏る可能性がある。執着の対象が増大する。そして死、病、老によって「快楽(消費)」生活の増大が中断することで、後悔が残る。
さらにこの「快楽(消費)」の増大していく社会には、真の「幸福」の欠如と同時に、社会から「美しさ」が消えていくのでは・・・。
「快楽(消費)」が「幸福」と切り離されているならば、執着としての「快楽(消費)」を減らした後でも「幸福」感が一定ということはありえる。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
で夢のセミリタイアを。



札幌で腸内会活動中です。
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