2021年01月06日

〇請願「幸福=自由な生活(余暇)+真善美愛+人類の生長のための活動」の修正

  ○請願『幸福(喜楽)ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動』と2030年目標
〜目次(このページ下部)〜

「人はいつか死ぬ。だから人生は美しい」
「死」の存在によって、「生」の美しさ、はかなさ、有難さ、不思議さが浮き上がってくる。
「死」があるからこそ、日々行う選択に対し緊張感が生まれ、その選択から美しさが生まれる。
一方、「生」のためにおこなわれる、日々の繰り返し、改良の中から美しさが生まれる。

エスカルジュニアは、「幸福な生き方、人生の美しさのあり方」について、加齢に比例して意識を高めていこうと・・・。
つまり、死への接近によって客観的に低下していくことに対して主観的に上昇させていこうと・・・。
「幸福な生き方ができるように人生に向き合い、常に修正を加えていく」
「人生の美しさが現れるシーンへの対応の準備をし、できうる範囲で対応できるようにする」

去年までの自己に課す、そして社会に願う「請願」は「幸福=自由な生活(余暇)+真善美愛+人類の生長のための活動」だった。

これに、『「幸福な生き方、人生の美しさのあり方」について、加齢に比例して意識を高めていこうと・・・。』
いう分を反映させるために修正を加えていくことにする。

さて、「人生の美しさのあり方」と「幸福な生き方」とは、一見似ているようにも思える。

「人生の美しさ」と「幸福な生き方」はどういう違いがあるのだろうか?

「人生の美しさ」に、他者への配慮・関係性の意味あいが強いのならば、利他的であると同時に、自己犠牲的なニュアンスも含まれるのでは?
「人生の美しさ」に自己犠牲が含まれるなら、必ずしも「人生の美しさ=幸福な生き方」とはならないのではないか?

自己犠牲は、究極的には自分の死も含まれることになるから。

また、「人生の美しさ」は、見方、立場によって、残酷さにもなる。
たとえば過去の歴史や現代でも度々起こる、特殊な主従関係や宗教、愛国から生じる慣習や錯誤による美しさ、洗脳、強制から生じる美しさは、当人たちにとっては、「人生の美しさ」と感じるのかもしれないが、別の立場からは残酷さや恐怖にもなる。

なので、この特殊な「人生の美しさ」は、普遍的な「人生の美しさ」とはなりえないはずだ。

一方で「幸福な生き方」は、どうか?
「幸福な生き方」は、利己的・自利的に傾くことで他人の人生を踏み台にする可能性がある。

自己にとって「幸福な生き方」が、他人の人生を「不幸な人生」にしてしまう可能性がある。
特に弱肉強食的な時代下やゼロサムゲーム下においては顕著となりえる。
一方の側が「幸福」と感じる「承認」という相互行為も、本来的には、ゼロサムゲームなのでは?

ならば、「人生の美しさ」(利他的)と「幸福な生き方」(利己的)の両立は難しいのではないか?

エスカルジュニアは、少欲での「幸福な生き方」が、その両立につながっていくのではないかと思う。

「人生の美しさ」について自問自答しつづけることと、少欲での「幸福な生き方」を目指していくことが、「人生の幸福、美しさ」を両立することにつながるのではないか?

誤った「人生の美しさ」に陥らないためにも、普遍的な「人生の美しさ」について学び、模索し、実行する。
少欲での「幸福な生き方」は、利己を利他寄りにさせる。

なので、他者への配慮(利他的)を含んだ「人生の美しさ」は、少欲での「幸福な生き方」(利己的)と両立できるのではないか。

これらを取り入れて、請願を修正していく。
これまでの請願は、「幸福=自由な生活(余暇)+真善美愛+人類の生長のための活動」

「幸福」は、「幸福な生き方」であり、
「自由な生活(余暇)」は、「自由な生活」であり、
「真善美愛」は、「人生の美しさについての学び(インプット)」であり、
「人類の生長のための活動」は、「人生の美しさを目指す(アウトプット)」であると読み替えるならば、

幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」へと変形させていくことで、これまでの「請願」が少し違ってみえてくる。

左辺は「幸福な生き方」、右辺は「人生の美しさ」となる。

左辺の「ー自由な生活(余暇)」の部分は、「少欲化による自由な生活」という意味で、左辺全体は「少欲による幸福な生き方」となる。

右辺の「真善美愛」は、「人生の美しさについての学び(インプット)」、「人類の生長のための活動」は、「人生の美しさを目指す(アウトプット)活動」という意味で、右辺全体は「人生の美しさについての学びと貢献」となる。

「幸福ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」

左辺の「少欲による幸福な生き方」と右辺の「人生の美しさについての学びと貢献」のバランスをとっていく。

ということで、自己に課す、そして社会に願う請願は、下記に修正する。

●自己に課す、そして社会に願う請願(2021年〜)

「幸福=自由な生活(余暇)+真善美愛+人類の生長のための活動」
     ↓
「幸福  ー 自由な生活(余暇)=真善美愛 +人類の生長のための活動」

とても難しいが、このバランスをとりつつ生きることが、「幸福かつ人生の美しさ」となるのでは?

修正前と後では、一見同じようにみえるが、修正後においては、「幸福な生き方」と「人生の美しさ」のバランス具合となる。
また、修正前の方が自己の「幸福」にフォーカスしている分、利己寄りであり、修正後の方が利他寄りといえるのかも。


「目に見えない価値観」の中で、プラスの感情「喜」「楽」「真」「善」「美」「愛」
そして、「幸福」と優先的価値観「自由」。
「目に見えない価値観」として、まずは、当面これら8つのプラスの感情にフォーカス。
と同時に先の「請願」の中にこのことを取り入れていきたい。

これら8つのプラスの感情の中で「請願」にまだ、含まれていないプラスの感情は、「喜」「楽」。
この2つを含め

「幸福(喜楽)ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動」へ修正したい。

「喜」「楽」を「幸福」に含めることで、曖昧だった「目に見えない価値観」である「幸福」を顕在化させる効果もありそう。



 ○請願『幸福(喜楽)ー自由な生活(余暇)=真善美愛+人類の生長のための活動』と2030年目標〜目次〜
日付の古い順になります。



posted by エスカルジュニア at 11:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○「請願」と2030年の目標
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