2021年01月05日

穏やかな日々の流れるセミリタイア者に与えられる問い。

こんにちは、

セミリタイア研究家


生きているすべての人にとって、今が一番若い。

誰もが今後、老、病、死といったきていくことで必ず訪れ、避けて通ることの難しい、そしてつらい局面に出会う機会が現れる。

それは、自分自身だけではなく家族にも訪れる。

客観的に考えると、幸福感人生の美しさへの感じ方は、身体や脳の老化、病により、さらに死への接近によって低下していくのではないだろうか?

多くの人は、労働、娯楽、消費(快楽)といったことで、気を紛らわし、見ない、聞かない、言わない、考えないでやり過ごそうとしているようにも思える。

セミリタイア生活者は、労働や消費(快楽)での「人生暇つぶし」を減らしている。

それにより、自分の時間が増えると同時に、「四苦」という人生の問題を受け止める時間も増えることになる。

これに耐えられずに再び労働と消費(快楽)の生活に戻る人もいるだろう。

これに対して今後エスカルジュニアはどう対処していくか?
今は、セミリタイア生活をしている限り、受け止めることになると思うとしかいえない。

それでも、今後、対処していく方法として考えているのは、
「幸福な生き方、美しい人生のあり方」について、加齢に比例して意識を高めていこうとしているということ。
客観的に低下していくことに対して主観的に上昇させていこうと・・・。

「幸福な生き方ができるように人生に向き合い、常に修正を加えていく」
「人生の美しさが現れるシーンへの対応の準備をし、できうる範囲で対応できるようにする」

穏やかな日々が流れ、日常に感情の起伏の少ない、セミリタイア者に与えられる人生への問い。
万人に共通に与えられる「人生暇つぶし」の中での、人生への問いをセミリタイア者は、早い段階から受け止める機会を独自に与えられる。

人生への問いに対する準備期間が長くなる分、「後悔」を減らすことにつなげることができるのか?
それとも、「苦悩」の総量が増えることになるのか?

難しい問いであることは間違いない。
いつ、なにが、誰に、どこで、どのように現れるのか、全く分からないから。
ただ、いつ、なにが、誰に、どこで、どのように現れてもその瞬間を「最善」な状態にできるように、バージョンアップし続けられる日常を願う。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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札幌で腸内会活動中です。







posted by エスカルジュニア at 09:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | ○セミリタイアとは?
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