2020年04月16日

目の前にいるのは、肉食のトラ?それとも草食のトラ?



こんにちは、

セミリタイア研究家


動物の生存本能として、目の前で起きた恐怖体験を記憶に焼き付ける。
たとえば自分がシマウマだったとする。
仲間のシマウマがトラに食べられるのを見ると・・・。
次にトラに遭遇したら、一刻も早く逃げるだろう。
とどまっていたら食べられてしまうという恐怖。

次に、トラの姿形によく似た動物が目の前に現れたとする。
それがライオンだったとする。
ライオンを見たシマウマはおそらく逃げ出すのではないか?
自分だったらもちろん、逃げ出す。
未知(ここではライオン)の危険から避ける。
たとえ、その(トラに似た)ライオンが本当に自分を食べるかどうかわからなかったとしても。

ここで、トラやライオンが肉食だという先入観を一度捨てた上で、立ち止まって考えてみる。

仲間のシマウマがトラに食べられるのを1回見たという恐怖体験が発端。
トラに姿形が似ているというだけで、ライオンが仲間のシマウマを食べているのを見た訳ではない。

このライオンは、本当に自分を食べるのだろうか?

ライオンが100頭いたら、100頭全て肉食かもしれないが、逆に100頭全て草食の可能性もある。
もしかしたら、1頭だけが例外的に肉食かもしれない。
しかし、実は、ライオン100頭全て草食、あるいは、100頭のうち99頭は草食だということが判明したとしたら・・・。

これまで遭遇したトラについてはどうだったのだろうか?
全て肉食だと思っていたトラも、たまたま例外的な肉食のトラを見ただけかもしれない。

コロナは、この例のライオンなのでは・・・?と。
ならば、トラは・・・。


自分自身思い返してみたときに、日常の情報のインプットの中でこうした恐怖感や先入観を自分自身に焼き付けてしまっていないだろうか?

読書(小説、漫画)、映画、ドラマ、日常生活の体験等で恐怖感や先入観を自分に焼き付けてしまっていて、無意識のうちに恐怖として反応するようになってしまっているのでは・・・。

新聞、雑誌、テレビだけではなく、ネットなどの媒体等を通じて専門家、権威者、資本家、国家、社会、政治家、マスコミ、国際機関等が発信する多様な情報を自分で客観的、論理的に判断しているように思っていたとしても、実は事前に自分の中に焼き付けられていた、恐怖という感情、本能を利用されコントロールされてしまっているのではないか?

その感情のもととなる恐怖感や先入観は、動物の本能としてだけでなく、過去の教育や日常の情報のインプットを通して、無意識的、無批判的に蓄積してしまっているのではないか?

これに対抗するには、どうすればいいのか?

すべての情報をシャットアウトするか、徹底的に批判的、懐疑的な眼を持つかだ。
社会で生きていくには、全てをシャットアウトするのは困難だ。
ならば、徹底的に批判的、懐疑的な眼を持つしかない。

自分の過去の経験、知識を過信しない。
他者からの情報を批判的、懐疑的な眼で深く堀りさげ、慎重に判断する。
自己の人生の否定にもつながりかねないので、とても難しいが、昨日の自分自身を疑い、今朝の自分自身を、少し前の自分自身を徹底的に疑う必要すらある。

それでも、それが、自分や家族を守ることにつながっていく。
と同時に、それは常に新たな自分自身の価値観の再創造をしていくことにもつながる。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 10:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | ○自己紹介
この記事へのコメント
自分は政府がはじめからコロナを草食だと思っているフシがあるのが一番不可解だな
Posted by kfe at 2020年04月16日 16:25
kfeさん

コメントありがとうございます。草食のライオンだけなのか?肉食のライオンが何頭いるのか?もしも草食のライオンだけだったとしたら・・・。
Posted by エスカルジュニア at 2020年04月17日 16:10
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