2019年05月03日

エスカルジュニアの請願で描く『「幸福」な人』とは、「負債論」の著者の考える『現在の経済秩序がはらんでいる自己破壊衝動を共有しようとしない新しい経済秩序の先駆者』と同義?



こんにちは、

セミリタイア研究家


昨日、4月に読んだ面白かった本の紹介記事で書いた「負債論」
もう一歩立ち入って、この「負債論」の最後の部分について考えてみた。
じっくり読んでみると、エスカルジュニアの請願と「負債論」における、最後の記述が重なっているのだ。

昨日と同一箇所の転載となるが、まず、「負債論」が下記。

「人類の種としての成功の究極の尺度は、少なくとも年間5パーセント商品とサービスのグローバルな生産高を増加させる能力なのであるから、仕事というものは定義からして美徳である。

問題はわたしたちがこの方向でこれ以上進むならば、すべてを破壊してしまうだろうことが、ますますあきらかになりつつあることだ。
この巨大負債機械は、過去5世紀をかけて世界中の人口の大部分を新大陸征服者とモラルという点でさしてかわらぬ存在に切り縮めてきた。
そのあげく、自分自身の社会的限界、生態系的限界に突きあたったようなのだ。

(中略)いまや真の問いは、どうやって事態の進行に歯止めをかけ、人びとがより働かず、よりよく生きる社会にむかうかである。

だからこそ、わたしは勤勉ではない貧者を言祝いで本書を終えたい。
少なくとも、彼らはだれも傷つけていない。
彼らが余暇の時間を友人たちや家族とすごすこと、愛する者たちと楽しみ、配慮をむけあうことについやしている以上、彼らは考えられている以上に世界をよくしているのだ。

おそらく、わたしたちは、彼らを、わたしたちの現在の経済秩序がはらんでいる自己破壊衝動を共有しようとしない新しい経済秩序の先駆者とみなすべきだろう」

次に、エスカルジュニアが、自己に課す、そして社会に願う請願は下記。

「幸福=自由な生活(余暇)+真善美愛+人類の生長のための活動」である。


まず「自由な生活(余暇)+真善美愛」の部分が「負債論」の著者の考え方に符合する。
そして「人類の生長のための活動」の部分についてもだ。

エスカルジュニアの考える「人類の生長のための活動」において、「成長」ではなく、あえて「生長」としているのは、必ずしも「人類の成長のための活動」である必要はないと考えるから。

これらから、エスカルジュニアの請願で描く『「幸福」な人』とは、「負債論」の著者の考える『現在の経済秩序がはらんでいる自己破壊衝動を共有しようとしない新しい経済秩序の先駆者』と同義ともいえる?

まあ、結局のところ、『現在の経済秩序がはらんでいる自己破壊衝動を共有しようとしない新しい経済秩序の先駆者』とは、セミリタイア、アーリーリタイアを含むのだろうけれど・・・。

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

で夢のセミリタイアを。

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posted by エスカルジュニア at 12:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | ●アリリタ生活(少欲)
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