そう問われたなら、僕は迷わず「考える力」と答える。
言い換えれば教養を身につけること。教養とは、単なる知識の集積ではない。
知識と知識を組み合わせ、応用しながら自分の意見を組み立てあげる力のことだ。
高価な食材を集めても料理の腕がなければおいしい食事にはありつけないように、
考える力がなければ知識は教養たりえない。
なぜビジネスに教養が必要なのか。
組織や上司に忠誠を誓い、残業をいとわず働き続ければ
自分の頭を使って考え、斬新なアイデアを生み出し、イノベーションを起こす力が働き手に求められている。
イノベーションは知識と知識の組み合わせによって生まれるが、
大きなインパクトは持ち得ない。自分の分野を深掘りしつつ、
見いだされた知恵を取り入れることで、オリジナリティーは強化され素晴らしいアイデアとなる。
日々顔を突き合わせている同僚と飲みに行き、24時間議論したとしてもイノベーションは起こせない。
遠いフィールドで得た気づきが豊かな発想を促し、生産性を高めるトリガーとなりうるのだ。
その実現のためには、働き方改革が不可欠だ。
「人・本・旅」の暮らしに切り替えなくてはならない。
仕事では知り合うことのない様々な人に会い、
脳を刺激し続けることで、考える力も磨かれていく。
大手生保に勤務時代、ロンドンで現地法人社長を務め、欧米企業のトップリーダーたちと接した。
彼らの多くは博士や修士の学位を持ち、働きながらも貪欲に学び続けていた。
残念ながら、世界標準と日本との間には大きな差がある。
「明日死ぬと思って生きよ。永遠に生きると思って学べ」とはマハトマ・ガンジーの言葉。
成長意欲を持って学び続けることこそ、いつの時代にあっても人間にとって最も大切なことだろう。
ビジネスパーソンを超え、人間の
「人・本・旅」の暮らしへの
切り替えの意義について考えてみました。
私たちを不自由にする3つの限界として
「知識の限界」
「経験の限界」
「思考の限界」
「人・本・旅」の暮らしへの切り替えは、
この3つの限界に個人が挑むことにつながり、
私たちの不自由をより自由(世界を広げる)
の方向に導いてくれるように感じる。
しかし、その先に
2種類の大きな選択肢を求められる。
どういうことか?
エスカルジュニアは、
時間は有限だということを
意識しはじめている。
(若いころは無限な気がしていた)
個人(動物)の有限な時間の中においては、
どんな人でも、どんな本でも、どんな場所でも
といったわけにはいかなくなってくる。
「人・本・旅」への時間が限られるならば、
より慎重に人、本、場所を求めるようになる。
そうすると、必然的に、
人間とは?幸福とは?
といった普遍的なことを目指す方向に進む。
さらに、
より普遍的なこと(真・善・美)を求めて
「人・本・旅」探しを深めていく。
また、それを裏付けるように
出口さんのいう「人・本・旅」は、
「天・地・人」に重なると思う。
天(本・真理)・地(旅)・人(人)
天地人とは「宇宙の万物」
普遍的なことを求めていくと
そこで、
現代社会、人間の矛盾に突き当たる。
その矛盾に苦悩する。
幸福とは何なのか?人間の存在意義は?
自問することになる。
記事内の「永遠に生きると思って学べ」
は、個人(動物としての人)の生命を
超えることについて考える。
そういう学びではないのかと。
一方、「メシ・フロ・ネル」の暮らしは
その思考には入らなくていいかもしれない。
それは、
幸福によく似ている快楽に
従って生きていくこと。
2種類の選択肢が提示されている。
知識、教養を得て、
苦悩することが、幸福なのか、
知識、教養を得ないほうが、
幸福なのか。
ある哲人は、
「幸福の断然第一の条件は頭がよいということだ」
ともいえば、
「無意識に漫然と生きるのが、一番楽しい」
ともいっている。
また、ある哲人は、
「愚者の生は死よりも苦しい」
ともいえば、別の哲人は、
「それ知恵多ければ憤激多し」
という。
エスカルジュニアは、
「生き方改革」に挑戦し、
「人・本・旅」の暮らしへの切り替えている。
ただ、生きるために
がむしゃらに働いていた過去には
「メシ・フロ・ネル」の暮らしに追われていた。
サラリーマン、脱サラ起業、
セミリタイア、移住といった
「生き方改革」をしてきて、遠回りしながらも
少しづつ見えてきているのは、
良い世界にするためには、人は、苦悩しながらも
学び、考えることが必要。


