2017年01月10日

「流行の本」の良書が「永遠の本」の良書に及ばない2つの理由。



こんにちは、

セミリタイア研究家


本には「流行の本」「永遠の本」がある。


「流行の本」には、良書・悪書がある。

「永遠の本」には、良書・悪書がある。


エスカルジュニアは、本の批評家、専門家

ではありません。

では、そもそも

何をもって良書・悪書というのか?

エスカルジュニアにとっての

良書・悪書の区別は、あくまでも

自分の主観的な価値観からみている

にすぎない。

次に「流行の本」と「永遠の本」の違い。

そもそも本は、「永遠の本」を

目指して書かれるべき。

今も読まれる古典作品は、

少なくとも時代を超えてきている。

そこには、時代を超える、

「何か」があるはず。

それにより「永遠の本」化している。



ところで、自分の主観とは何か?

「日本列島で2017年に生きている人間」

である自分はどんな主観の持ち主なのか?

人間別のざっくりとカテゴリー分けをしてみる。

そのほんの一部

「日本列島で縄文時代に生きていた人間」

「日本列島で江戸時代に生きていた人間」

「ユーラシア大陸で1万年前に住んでいた人間」

「現アメリカに1000年前に住んでいた人間」

「現ヨーロッパに1000年前に住んでいた人間」

「中東で2017年に生きている人間」

「アフリカ大陸で2017年に生きている人間」

同じ人間でも様々な価値観がある(あった)はず。

そう考えると現代に生きている

他の日本人と価値観は、

それほど大きくは違わないだろう。


自分の主観は、

「日本列島で2017年に生きている人間」の

主観と比べて

それほどの違いはないのでは?

それならば、

時空を超えて多くの人が良書と認めてきた、

そして現在日本で古典として認められている

著書の中に

自分にとっての良書が含まれている確率は高い。

(「永遠の本」の悪書は、むしろ自分の個性?)



「流行の本」は、今を生きている人が、

気づきを表現する本。

今を生きている膨大な人の中で、

興味のある人がいる、または、

興味のある話をしている。

その人の話をその人に

直接会えなくても、

本を通してきくことができる。

そういう点では、有益。

今を生きていく技術は、

「永遠の本」よりも「流行の本」に

含まれている確率は高い。

今を生きていく技術「流行の本」に、

今を生きる技術としての良書はある。

ただ、多くの「流行の本」は

流行が移り変わるため、

いつかは役にたたなくなる。

(極端な話、悪書となる)


例外的に「永遠の本」を目指してかかれた

「流行の本」の中には、

「永遠の本」になるものもあるかもしれない。

「永遠の本」にも良書があり、

「流行の本」にも良書がある。



が、

「流行の本」の良書は

「永遠の本」の良書には及ばない。

その2つ理由。

1つは、

「永遠の本」は、

時空のフィルターを通ってきていること

もう1つは、

エスカルジュニアにとって、

「永遠の本」の良書=「セミリタイア生活」

を向上させてくれる本


「流行の本」の良書=「セミリタイア収入」

を向上させてくれる本


「セミリタイア生活」>「セミリタイア収入」

のため (詳しくは、セミリタイア倶楽部HP)

「永遠の本」の良書>「流行の本」の良書

となるから。

最後まで読んでいただきありがとう

ございました。




で夢のセミリタイアを。


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posted by エスカルジュニア at 08:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | ●アリリタ生活(少欲)
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