こんにちは、
セミリタイア研究家
エスカルジュニアです。
公然とウソをついてもいい職業ってなんだろう
と思い、考えてみました。
小説家(フィクション)、脚本家、芸術家、
起業家(ほとんど失敗する
プランでもお金が集まる)、
政治家(本当はついては
いけないと思うのだが・・・)、
宗教家(非科学的要素が
ありそうな気が・・・)とか。
(起業家と政治家、宗教家は
夢を語るから、
その夢がうそでも
あきらめがつくから許される?)
これら、公然とうそをついてもいい職業は
自由な発想を表現できる職業
ともいえるのではないでしょうか?
しかし、これらは、
自由な発想を表現できるが
多くは安定した職業とは言い難い。
学校教育は、まねさせる(パクる)こと。
どれだけパクりがうまいかが重要。
学校教育でのことを思い出してみると、
自由な発想を出す機会といえば、
写生会とか・・・。
子供ながらに
自分の描く絵と人の描く絵、違うなあ。
自分で描いたものが描く
対象と随分違うなあ。
と思っていました。
他人との主観の違い。
変化していく自然を
まねることのむずかしさ。
を感じていたのかも。
日本の教育は、
まねる(パクる)ことがいいこと。
うまくまねる(パクる)とほめられ
点数化されて、いい学校に進める。
まねができないと怒られる。
そんな教育(うまくパクれ)を
ずっと受けてきたのに、
パクるなといわれても困る〜。
パクらないと生きていけない。
へたすると、一生パクり人生の人も。
もちろん
私も、日本人なので
多かれ少なかれ
パクっ(まねる教育)て生きてきました。
さて、
「パクり続ける安定した生活」か
「パクらない(自由な発想)
不安定な生活」
どっちもいまいち。
の選択ですが、学校教育、
社会が求めるのは、
「パクり続ける安定した生活」
やっぱり、理想は、
「自由な発想で安定した生活」
では、この理想にむけて、
「パクり続ける安定した生活」
から目指すとします。
「パクり続ける安定した生活」の
代表であるサラリーマンが
従業員の立場で「自由な発想」は
なかなか難しい。
では、
エリートサラリーマンのゴールである
大企業の社長になれたら、
「自由な発想」はできるのか?
なったことがないので
わかりませんが(笑)、
これは、想像なのですが、おそらく
しがらみ(社会、伝統、株主等)があり、
困難なのでは。
仕方なく、リタイアしたあとに
自由な活動の場を譲ることに。
一方、
「パクらない(自由な発想)不安定な生活」
から
理想的な「自由な発想で安定した生活」を
目指すのも大変。
食っていくのが大変。
まあ、そもそも、自由な発想といっても
多少、皆、何かをパクっている
(全く新しい創造を
世に受け入れられるのは難しい)
んだから、
世の中にうけのいいものを作ろう。
となって、食うために妥協してパクる。
食えるようになってから、
独創性の高い物をつくろう。
なかなか、
「自由な発想で安定した生活」には
たどりつかない。
と、そんなことを
「自由な発想」で想像してみました。
「セミリタイア生活」では、
パクり人生のウエイトを減らし、
「自由な発想」を
解放していくことができる。
「セミリタイア生活」で
得られる自由な時間、
これを使って、
「自由な発想」の領域を
広げていきたいものです。
そんな人たちが増えると、
社会が面白く
なりそうではないですか?
P.S.
私の勝手に考える
公然とウソをついてもいい職業である
小説家、脚本家、芸術家、
起業家、政治家、宗教家は、
どれも偶然なのか「家」がついています。
「セミリタイア研究家」も
「家」がついていることに、今、
気がつきました。
うそをつくことは、大嫌いなのですが、
公然とウソをつけることは、
なんだか楽しそうです。



で夢のセミリタイアを。