『自由(自分の時間)』は目的でなく、手段ではないか。
としていたが、『手段としての価値観』の可能性が高くなった。
が、今度は、本当に『手段としての価値観』でいいのかについて考えてみたい。
『過去の記事
において、
自分のために生きる
人のために生きる
世のために生きる
健康
自己投資
一時的に「自由」を経由し、上記のような別の価値観に変換していく可能性がある。
もちろん、『自由(自分の時間)』は最優先としたまま、一部分をこれらの価値観に変換するかもしれない。
ただ、もしかすると、上記の特定の価値観に全力で変換する可能性もある』
と推測していた。
この考え方を踏襲して、「自由」の変態先について考えてみる。
優先的価値観『自由(自分の時間)』を手段としての価値観として考えるならば、
優先的価値観『自由(自分の時間)』の変態先は、
世のため
人のため
自分のため
健康
自己投資
となる。
優先的価値観『自由(自分の時間)』を『世のため』に使う。
優先的価値観『自由(自分の時間)』を『人のため』に使う。
優先的価値観『自由(自分の時間)』を『自分のため』に使う。
優先的価値観『自由(自分の時間)』を『健康』に使う。
優先的価値観『自由(自分の時間)』を『自己投資』に使う。
ところで、エスカルジュニアにとって優先的価値観『自由(自分の時間)』の再創造の繰り返しによって今いるポジションがアーリーリタイア。
このアーリーリタイアは、手段か目的か。
前述のように「トラブル発生時はその対応のために別の価値観に席を譲る」という手段としての役割はある。
しかし、トラブル対応のためだけに優先的価値観『自由(自分の時間)』の再創造を繰り返してきたのだろうか。
平常時は、変態せず、優先的価値観『自由(自分の時間)』のまま。
平常時に、この『自由(自分の時間)』は何に使われているのだろうか。
この平常時、優先的価値観『自由(自分の時間)』の多くは、上記でいえば、『健康』『自己投資』『自分のため』に使われている。
『自分のため』には、趣味・娯楽等も含まれる。
『健康』『自己投資』は、別の価値観への手段でもあり、優先的価値観『自由(自分の時間)』の目的でもある。
また、アーリーリタイアを目指してきて実現した現時点では、この生活を維持することを願っている。
そういう意味においては、現時点では、アーリーリタイア生活は目的といえる。
これらから、エスカルジュニアにとって、優先的価値観『自由(自分の時間)』は、手段でもあり、目的でもある。
つまり、優先的価値観『自由(自分の時間)』は、『世のため』『人のため』には手段であり、
『自分のため』には、手段でもあり、目的でもある。
そのため、他者にとっては、手段にすぎないと見える可能性もある、価値観『自由(自分の時間)』であるが、エスカルジュニアにとっては、優先的価値観『自由(自分の時間)』は目的ともいえる。
ただ、現時点では、優先的価値観『自由(自分の時間)』は、目的でもあるが、
いつか手段となり、臨時的ではなく恒常的に優先的価値観『自由(自分の時間)』を別の『価値観』に優先的価値観としてのポジションを譲る可能性はゼロとはいいきれない。
そう考えると期間限定の優先的価値観ともいえるのかも。