アーリーリタイア研究家
(コメント内容)
絶望など経験しようと経験できるものではない。
意図して経験したのならそれはもう絶望にならずに想定したものだからだ。
そういう意味でメンタルを鍛えるコントロールするなどは不可能だと思える。
それは練習しようにもできないからだ。
意図して津波に巻き込まれる。意図して暴漢に襲われる。意図して犯罪に巻き込まれる。意図して家族が死亡する。
など そんなことをしていては命がいくつあっても足りない。
練習が不可能なんだ。
従って、いつも絶望的な状況はぶっつけ本番となり、その人の遺伝的素養にそったメンタル行動しか不可能なのだと思える。
(終了)
『意図して絶望を経験し、コントロールするなどは不可能だと思える』
という趣旨のコメントをいただきました。
長文になりそうだったために記事にすることにしました。
このコメントは、
『「エスカルジュニアのアーリーリタイア方法」の
記事1、「無リスク資産」増やす
2、「リスク資産」増やす
3、「公的年金」増やす
4、「バックアップ(サバイバル)プラン」を増やす
5、(できるだけ若いうちに)一度は、金銭面での「絶望」を経験しておく⇒「倹約」「少欲知足」を増やす
のうちの
5、(できるだけ若いうちに)一度は、金銭面での「絶望」を経験しておく⇒「倹約」「少欲知足」を増やす』に対して。
この「エスカルジュニアのアーリーリタイア方法」には、2つの前提があります。
1つめは、あくまでも金銭面での「絶望」であること。(ただちに命にかかわる絶望ではない)
2つめは、現在の「アーリーリタイア生活」視点から「アーリーリタイアする方法」について(社会に出る前の)過去の自分にアドバイスであること。
この2点。
まずは、1つめについて。
コメントにある『いつも絶望的な状況はぶっつけ本番となり、その人の遺伝的素養にそったメンタル行動しか不可能なのだと思える』。
命に直接かかわる絶望的な状況については、全く同感。
エスカルジュニア自身、生死にかかわる絶望的な状況に何度も直面してきている。
・学生時代のアメリカ横断旅行中に銃で発砲された
・サラリーマンのときに命の危険を感じる恐怖を経験
・海水浴中、潮に沖までながされた(小学生)
・交通事故(高速道路で強風により前を走るトラックが横転して、間一髪免れた)
・交通事故(信号待ちで後ろから追突される)
・震災(地震・放射能汚染)
・盗難(店舗・車)
など
生と死が紙一重の経験は結構してきました。
こうした生死にかかわる経験では、瞬間すぎて絶望に気が付かないのか、それとも生命にかかわる絶望には、鈍感に反応するような遺伝的素養が自分に備わっているのか不明だが、何とかやりすごして幸運にもまだ生きている。
今は、人生何があるか分からないから、その時は、もがいた上で運命を受け入れようといった境地に近いかも。
そして、絶望にもいろいろな絶望の種類があると思う。
エスカルジュニアは、金銭面での「絶望」を経験したことがあります。
直接「命」にかかわることへの絶望に比べれば、絶望的ではないと思われがちですが、
ただちにではないものの、じわじわと金銭面で生じる絶望感もある。
それこそ、もしかすると、どんな絶望へ自分が反応するかというのも遺伝的素養があるのかもしれない。
エスカルジュニアの場合、金銭面での絶望は、上記の命にかかわることよりも時間的には長く、結構な精神的ダメージもありました。
そのときは、手持ちの現金が5万円しかなくなってしまっているのに、住宅ローンや開業資金のローン、当時組んでいた投資用不動産ローン、店舗の家賃の支払い、光熱費、生活費、健康保険、年金、税金等の支払が近づいてくる。
でも、今後の売上の見込みは全く立っていないといった状況。
絶望の淵にまでいかないと意識、生活をかえることはなかなかできない。
この時の経験が、金銭面での「絶望」でした。
次に2つめの前提が、(社会に出る前の)過去の自分へのアドバイスであること。
そもそも、自分の性格・メンタルを熟知している自分に対してのアバイスという日記的なもので一般的なものではないといえるかも。
ならば、個人的な日記に書いておけばいいのでは?
何故、個人的な日記としておかなかったのかについて。
もしも、ずっとうまくいっていたなら金銭面での絶望を感じることもなくアーリーリタイアしなかったかも。
つまり、成功しつづければ、アーリーリタイアすることはなかったのだろうかと想像するときがあります。
が、これまでのビジネスの経験や周囲の体験談から、ずっと順調にいくことなど個人事業者レベルでは、おそらくありえない。
ビジネスを続けていたら、今回のコロナ、物価の高騰にまきこまれていたかもしれない。
現に巻き込まれて、苦労している人の話を耳にすると自分のことのように心が苦しくなります。
では、金銭面での絶望は怖いから、挑戦しない方がいいと過去の自分にアドバイスするのか?
それでも一度きりの人生なので失敗をおそれず、タイミング次第では、投資でもビジネスでもやりたいことにチャレンジしてみてはどうかと言うと思う。
(もちろんそのための準備は万全にすべきですが)
過去の自分に(できるだけ若いうちに)一度は、金銭面での「絶望」を経験しておくようにアドバイスする理由は、自分の行動上、おそらく人生のどこかで失敗するのは当然だと思っているから。
ところで、この金銭面での「絶望」は、コントロールできるのでしょうか?
金銭面での絶望をその場で、コントロール可能かどうかは正直分からない。
ただ、いえるのは、まだ、成功を重ねる前(できるだけ若いうち)の比較的軽微な時点での失敗のほうが、リカバリーできる。
そこで、もがくことから、生活の見直し、価値観の再創造が生まれるのではと思う。
あとになるほど(成功を重ね、事業を拡大するほど)ダメージが大きくなる。
「絶望」発生時点でのコントロールは、運次第といった要素もあるものの、「絶望」を経験した後に人生をコントロールできるようになった。
35歳で起業後まもなく、絶望の淵に、その後、40歳でセミリタイア、48歳でアーリーリタイア状態、53歳で今のアーリーリタイア。
自分の経験として脱サラ起業時の苦労後のビジネスの修正や(不動産)投資からアーリーリタイアまでまっすぐにつながっていると思っているから。
そして、金銭面での「絶望」をやり過ごしたあとの今の自分達の幸福感が一番高い。
挑戦してみることで、万が一にも、突き抜けて成功し続けることができるかもしれない。
一方、失敗による教訓を糧に「倹約」「少欲知足」を増やすことから、今のようにアーリーリタイアに向かうことができるかもしれない。
今の立ち位置から、(社会に出る前の)過去の自分にいえることは、成功にしろ、アーリーリタイアにしろ、どっちに転んだとしても成功なんだからと思えば、人生が楽になる。
今、コロナの影響、インフレ、生活費高騰の影響でただちに命にかかわらないまでも当時のエスカルジュニアのように金銭面での絶望を感じている人もいるのではないか。
その絶望はただちに命にはかかわらない。
その絶望を踏ん張って乗り越えれば未来につながる糧になるかもしれないとエスカルジュニアに遺伝的素養が似ている人に届けば。
というのが、日記としておかなかった理由でもあります。
金銭面の「絶望」という表現は、適切な言葉が思い浮かばなかったこと(語彙力不足によるもの)と未来の自分に対する忠告、戒めのために少し強めなのかも。
金銭面の絶望を経由するので、万人にすすめられるわけではありませんが、過去や未来の自分へのアドバイス、忠告、戒めであり、また、現在、金銭面の絶望の中にいる人への気休めにはなると期待。
どうやら、「エスカルジュニアのアーリーリタイア方法」は、過去の自分へのアドバイスだけではなく、未来への自分へのアドバイスでもあるようです。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
で夢のセミリタイアを。