こんにちは、
セミリタイア研究家
エスカルジュニアです。
ほとんどの人は、自分自身のスペックが明記された「取扱い説明書」が生まれたときに用意されている訳ではなく、成長・加齢とともに自分のスペックを認識していくことになるのではないかと思う。
エスカルジュニア自分自身の全生涯に及ぶ、詳細なスペックは分からない。
仮に生まれたときに自分自身の「取扱い説明書」が発行されたとしても、生活習慣とともにスペックが変動していくなら、常に自分で「取扱い説明書」を書きかえていかなければならなくなる。
「取扱い説明書」がない中で、予防を目指す人は、自分に遺伝子的に近い人の疾病歴を参考にしたり、自分自身の疾病歴や、体質的に弱いと感じる要因に心当たりがあったりするとそれらの要因を避けたりといったことを行っているのでは?
しかし、多くの人は、疾病や、症状が発生した時点で対処療法的に医者に診てもらうことで、医者の持つ「平均的なヒトの取扱い説明書」によって解決していくことになる。
そもそも、スペックの違いが「人類のリスク分散機能」であり、顔や指紋や虹彩等のように全く人と同じでないなら、「平均的なヒトの取扱い説明書」はあったとしても「万人に共通の取扱い説明書」はないのでは?
ならば、以前に記事で書いた下記疑問の数々が浮かんでくる。
1.万人にとって普遍的な健康法など存在するのだろうか?(スペックが違うので、同じ健康法が万人に効果があることはないのでは?)
2.万人に有効な栄養指導は存在するのだろうか?(スペックの違いのために、平均的な栄養を摂っても過剰になったり、不足したりしてしまうのでは?)
3.疾病に対して、そもそもスペックの違う人に同じ薬で治すことなどできるのだろうか?(だれでも薬が効くようにするためには必要以上に強い薬になってしまうのでは?)
4.そもそも、健康診断や予防接種って意味があるのだろうか?(平均値、基準値がスペックの違う個人にとって健康の基準になりえるのか?)
(また、健康診断で、異常と診断されたとしても、その人にとって異常といいきれるのか?)
人類が、遺伝子レベルで長い年月をかけてリスク分散してきていることを、治療によって無効化してしまうのでは?(人類共倒れリスクをかえって増やしてしまうのではないか?)
私たち夫婦の「取扱い説明書づくり」の目的は、「健康で暮らすこと」。
健康を脅かすかもしれない危険・危機に対しての、予防のためのオリジナル「取扱い説明書づくり」。
「取扱い説明書づくり」は、「予防的健康管理」といえる。
その「予防的健康管理」では、上記の数々の疑問で浮かび上がったスペックの違い(人類のリスク分散機能)という問題を乗り越えていくものをつくっていく必要がある。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
で夢のセミリタイアを。



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